ポーカー 上手くなり方

ポーカーが上達する方法には色々あると思うが

日本人の有名プロの中には「とにかくハンドをこなして上手くなった」という人が

ある程度いると思う

というか、こういう人がほとんどかもしれない

 

僕が聞いたことある限り

元スターズプロの一ノ瀬さん、木原さんはこのタイプだと思う

「とにかくやり込んで、経験して、勉強していった」というタイプ

 

これは、RIOなどのビデオを見たり、スノーウィーでプレイを検証したり、上手い人に教えてもらったりというのとは違って

センス・才能が必要になるやり方だという印象がある

 

もちろん、ハンドごとの勝率などを見たり、自分のプレイを後から検証するのだろうけど

こういったタイプの人たちは、何がもっとも期待値の高いプレイだったのか、というのを自分の頭で考えてある程度わかるのだろうと思う

例えば、オマハで、HJのポットベットのオープンに対して、COでKK79ssを持っていたとして

どうするのが最もいいか、僕は考えただけではわからない

 

GTOのソルバーという、便利なものが今はあって

これで勉強するというのはすごく納得がいく

その場面の期待値が最も高いプレイをソルバーが計算してくれるというのだから

かなり「その場面における正解」というものに近しいものを提示してくれると考えていいだろう

それを自分のプレイに採用するというのは、勉強・上達のやり方として効率がいいし

「その場面における正解」を検証できなければ、勉強とは言えないとも思える

 

こういったツールがない時代は、どうやって、何が正解に近いのか、を探っていたのだろうか

 

今日は久しぶりにポーカーができた


AhKsQdJs vs AsJc8s2c

ボード QhTd9s7d

ターンでオールインになって、リバーでK引かれたけど

3BI勝てたので文句なし

 

勝てたセッションでは、勉強になるなと思うシチュエーションも多い気がする

8d8c7s6h Qs6s4s6d3s

UTG hero(100bb) 8d8c7s6h 3bb
UTG+1 call
CO call
SB call
BB raise 16bb
UTG call
+1 call
SB call

Qs6s4s(Pot 67bb)

SB check
BB check
UTG check
+1 check

6d(Pot 67bb)

SB check

BB bet 3.1bb
UTG call
+1 fold
SB call

3h(pot 76bb)

SB check
BB bet 15bb
UTG fold
SB call

BB AcJcJh9h(JcJh6s6dQs)
SB AsAdTc7h(AsAd6s6dQs)

SB 100bb win

 

プリフロップでフォールドすべきと言われそう

実際、マカオPLO卓だったら即フォールドだろう

しかし、これ、最後もコールせなあかんですか?

なんちゅう打ち合いをしてるんやと

SB、AA持ってたんかいと

そんな今日のセッション、400bb負けてる、きつい

PLO

PLOについて、日々のセッションについてメモ的に書いていく

0.05/0.1 PLO zoom

hero JsTsTc9c
Player 4: folds
Player 5: folds
Player 6(10$): raises $0.10 to $0.20
hero(52$): calls $0.20
Player 2(32$): calls $0.15
Player 3(11$): raises $0.80 to $1
Player 6: calls $0.80
hero: calls $0.80
Player 2: calls $0.80
3d8d6s
Player 2: checks
Player 3: bets $3.83
Player 6: folds
hero: folds
Player 2: folds
Player 3: doesn't show hand

 

フロップで降りたこのハンド

ボタンからは3ベットしてもいいハンドなんだろうか

フロップではガットショット+バックドアストレートドロー

ポジションあるところからならレイズして戦えなくもないのではないかと思った

 

だがしかし

 

このレートではプリフロップでマルチウェイの時に3ベットしてくるプレイヤーはだいたいAA持ち。かつ降りない(稀にランダウンで3ベット4ベットしてくるやつもいるが体感では10%ぐらい。それぐらいAAが多い)

 

こういうので突っ張ってはいけないのだ

自分で気づかなきゃいけない

私はポーカーが好きなのだけど、ここ最近オンラインポーカーで大負けして資金を大きく減らしてしまっていた。
ポーカーは短期なら運の要素も大きいから、ミスをしていなかったら「そういうこともあるさ」と思うしかない。
でも、今回はそうは思えなかった。
自分の将来のことや、これからの生活、お金のことを考えて暗い気持ちになっていたこともあり、「こんな運ゲーにお金を使っていてもしょうがないんじゃないか?」と思ってしまった。

お金は何のためにある(使う)のか、それを考えたとき、私の場合、生きていくため、人生を楽しむため、というものが真っ先に出てくる。
この「生きていくため」のウェートが自分の中で大きくなると、だんだん気持ちが落ち込んでくる。
それはなぜかというと、ここまで20余年ほど生きてきて、未だに生きていくという生命として最低限のところを完全にクリアできてないのか、と思ってしまうからだ。
こう思うのは人生においてやるべきことをやってきていれば当然そこはクリアできているという前提、先入観があるからだと思う。

例えば、(賃料の安い)寮のある会社で働いている人。
私の周りの人を見ていると、彼らは可処分所得が非常に多い。
たいていの場合、寮に住んでいるということもあって、最低限、生きていく分にはほとんどお金を使う必要はない。
家賃というのはけっこうバカにならない。新卒の給料がだいたい22万円とかであったら、なかなか家賃10万円のところには住めない。まず自分の場合、所得の半分が家賃に持って行かれるというのが考えられない。先の論理と同じで、生きる上で最低限の住居というところにウェートが大きくなるというのが耐えられない。

運ゲーにお金を使ううんぬんのところに話を戻す。
これからの私の生活は、とても裕福なものではない。
寮生活をしている人のように、給料の大部分が自由に使える生活ではない。
なのに、ポーカーのような運の要素の大きいゲームにお金を使っていて良いのだろうか?合理的なのだろうか?そこまでポーカーをして、一体何になるというのか?
と思い、「こんな運ゲーにお金を使っていてもしょうがないんじゃないか?」と思うに至った。

これに対する答えを生み出すヒントを先ほど得た。
ポーカーで負けてお金を失うのは間違いない。しかし、その経験は次勝つ上での糧になる、ということだ

当たり前のことだと思うかもしれない。だけど、最近お金のことばかり考えていた自分にとって、お金から離れて自分の経験や能力というところに目が向いたことが、自分の中で新鮮であったので書いておこうと思った。

財布

財布を盗まれた。

母が買ってくれた、我が家の金銭感覚からしたらかなり高い財布だった。
財布はいいものを使ったほうがいいという母親からの勧めを受けて、気が進まないながらも買ってもらったものだった。
こんなに高い財布はいらないと思いつつもやはり使ってみると愛着がわき、大切に使ってはいたのだけれど、昨夜自分の不注意によって盗難に遭ってしまった。

居酒屋で友達と飲んでいた時、本が入ったビニール袋に財布も入れて自分が座っているソファの上に置いていたところ、気づいたら無くなっていた。
「どうせ持って帰るんだからここに入れておこう」と思ってそのビニール袋に財布を入れていたのがよくなかった。考えてみればそんなことをする必要は無い。財布を買ったばかりの時の、財布を大切にしよう、という気持ちがあればそんなことはしなかったはずだ。
トイレから帰ったときに盗まれたことに気づいたけど、盗人がいつ盗んだのかは定かではない。もしかしたら自分がソファに座っている真横で盗みを働いたのかもしれない。そう考えるとつくづく間抜けだと思う。

財布を身につけていなかったのもまずかったが、ビニール袋を通路側に置いていたのがよくなかった。
反対側に置いておけば絶対に盗られはしなかった。

手ぶらでいたのもよくなかった。私はよく鞄を持たずに出掛けることがある。携帯と財布と鍵だけをポケットに入れて出掛けるのは身軽でいいのだけれど、今回のようなことが起きるリスクがあると感じた。ある程度大きい鞄に入れておけば盗みにくいはずだ。

クレジットカードはすぐに止め、中に現金もそこまで多く入っていなかったので金銭的な被害は少なかったけれど、やはり気に入っていた財布を無くすというのは精神的に辛い。
財布を無くした人がよく言う「中身は返ってこなくていいから財布だけでも返して欲しい」というのはまさにその通りだと感じた。いざ無くしてみると財布の中身より財布本体のほうがよほど重要だったと思わされた。
本に関しては一般受けするような本でもなく、非常に重いのでどこかに捨てられてるだろうと思ったけれど盗まれた場所周辺では発見することができなかった。

盗んだ方はどう思っているのか。
ラッキーだと思っているのか、中身が少なくてツイてないと思っているのか。
そもそもなぜ盗もうと思ったのか。財布を盗もうと思って飲み屋に来たとは考えにくい。魔が差したのか、色んな場所で常習的にやっているのか。持ち主が分かっているものを盗るのはかなりの覚悟がいると私は思う。よほどお金に困っていなければ盗ったりはしないと思うのだが、盗みのスリルや快感があるのだろうか。盗られた側の気持ちがちらついて決して気分がいいものじゃないはずだと思うが、人を出し抜くことを得意とする人は感覚が違うのかもしれない。そういう人間は世の中を生き抜く力が強いと思うが、こんな形でその力を発揮しても今回は成功したが窃盗はやはり犯罪でありリスクが高く本人のためにはならないと思うのだが。

リスクといえば、財布に大事なものを入れすぎだと思った。財布は他の人にとっても価値が高い。となると盗られる危険性も比較的高い。なのに自分にとって価値が高いものをたくさん入れておくのは賢いとはいえない。現金以外のカード類を保持するためのツールの必要性を感じた。
価値が高いものを持ち歩かなきゃいけないのは仕方がない。問題はどう持ち運ぶか。なんでもかんでも財布に入れていてはいけないのだ。

ああ免許証、保険証、学生証、クレジットカード。他人が持っていても仕方がないだろう。返してくれよ。

徒手空拳

徒手空拳

これは人間の営みの中で最も悲しいことの一つではあるまいか。

自分の為したことが全く意味をなさず、まるで相手にされず、何もできない・何もしていないかのように扱われる。
これほど日常生活で起こりやすく、かつ心を抉るものはないだろう。


自分は基本的に自意識過剰気味である。
いろいろ考えてしまって、余計なことも考えてしまって、大事なことが疎かになりがちだ。
シンプルに考えることが大切だと思ったことは何度もある。
こんなことを言ったらあの人は良く思わないだろう、こんなことしたらこの人は良くても他の人はつまらないだろう、くだらないと思われたら嫌だなあ、気が利かないと思われたら嫌だなあ、そんなことばかりを考えて押さえるべきポイントは押さえられないのだからなんともいえず自分が嫌になる。


そうして周りの人に気を遣わせてしまって、申し訳ないと思っているのにそれを伝えられない。
どうしてか強がってしまう。道化になって、ふざけてる振りをして、気にしてないよとでも言いたげな態度を取ってしまう。
暗い気持ちになっているのを他人に見られたくないのだろう。
何にも気に留めていない振りをして、誰かが助けてくれればなと思っているのかもしれない。

自分は全然たいしたことない人間だって思っているくせに、諦めないのが大事だの、自分に期待することが大事だの、自分の都合のいいように言い聞かせて自分はまだやれる、頑張れると思っている。色んなことを諦めてしまえば楽なのになと思いながら。

自分はやる気が無くて、大して何もしてなくて、迷ってばかり。でもそれでも何かあるんだと、なりたい自分になれるんだと思いたいだけの人間だ。そう考えてしまうこと自体が全然自分の望む所ではないと、思いながらもやめられない。

この先自分はどうなるんだと、自分でも心配だ。
周りの人には心配いらないですよと軽く言ってる自分が信じられないぐらい、本当に僕はどうなってしまうのか。お世話になっている人の期待を裏切ってしまうんじゃないかと不安で不安で仕方がない。

一昨年から就活をやってきて今日初めて苦しいと思った話

エントリーシートの提出や面接など、いわゆる就職活動を始めたのは2013年の5月ぐらいだったと思う。
夏休みが終わる頃に1社は内定をもらいたいと思いながら取り組んでいたことを覚えている。

あれから20ヶ月ほどたった。
あのときからずっと就活のことが頭から離れない。
いや、思えば大学に入ったときから就職活動のことを考えていた。
大学に入ったとき、3年後に控える就職活動にむけて今から活動すれば誰よりも就活で有利になれるはずだと、そして自分はそうするべきだ、と考えていた。
就職活動時に少しでも有利になるよう、他の学生に負けないよう、自分が大学生活で何をすべきか考えてきた。そうすることが後々の人生にとってもプラスだと考えていた。

広義の意味で言えば大学入学時からずっと就職活動をしてきたことになる。
でも一度も辛いとかやめたいとか思ったことはなかった。よく就活がつらいだの、早く終わって欲しいだのと言う人がいるが、そんな気持ちになったことはなかった(もちろん早く終わったら終わったでいいことはあるのだろうけれど)。
去年、就職先が決まらず夏ぐらいまで就職活動をしていた大学生が自殺をしたという記事を見たけど就職活動とはそんなに辛いものか?と強がりでなく本気で思っていた。

だけど今日、はじめて就職活動をやめたい、というか、就職活動のことばかり考えたくないと思った。
OB訪問を立て続けに断られたからか、本屋でウロウロしながら就職活動のことについてぼんやり考えていると胸が苦しくなった。

今は結構簡単に人生を変えられるタイミングだと思っていて、特に行動しなくても、決断しなくても、なんとなく流れに任せて適当にしてても大きくその後の自分を変えられると考えている。
何年かあと、その時の自分は今の自分をどんなふうに思い返すんだろうか。そのままでいいからたくさん悩めよ、今すぐ行動を起こせよ、なるようになるから心配すんなよ。今の自分には想像もつかないし、正直どうだっていいのだけど。ただ、今の時期のことは、これから何回も思い返すんだろうなと思った次第である。

VCの方に会ってきた

今日はVCで働いている方にお話を伺いに行った。
聞けたことを書き連ねていこうと思う。

・VCで若者(20代)が勝負するなら飛びぬけた要素が一つは必要
めちゃくちゃ人脈があるとか、めちゃめちゃお金持ってますとか、デザインとかプログラムなら任せてくださいとか、そういう要素がいる。

・VCについての知識は重宝される
英語版のTechCrunch隅々まで読んでるとか、海外のVCがどういうところに投資しているかとか、アメリカの金融系のベンチャー5つ上げてビジネスモデルもいえるとか、そういうことができる人はVCの人にとっては価値がある

・ファーストキャリアでどこにいくかというよりも、いった場所でしっかり学ぶことのほうがよっぽど重要
そうやって積み重ねていった先に自分の強みができる(と、理解した)

・挨拶をするとか、質問にちゃんと答えるとか、そういう当たり前のことをできるようになることが大切。すごいと言われているような人は、ちゃんと基礎ができている

自分の能力と学生生活に関して思う

最近は自分が興味がある業界の人に話を聞きに行っている。
先週に1人、今週はすでに2人。明日も1人の方に会って話を聞かせてもらう予定。

人と会い、自分の将来の展望について話をすると、様々な意見が返ってくる。
時には返ってこないときもあるが、何か意見を言われるたびに私はいろいろなことを考えさせられる。
時には起業をしろと言われる。君はいろんなところで働いてきたみたいだけど、もうそれ以上バイトやインターンをしても君のキャリアにプラスにはならないとも言われる。
自分が自分の人生についてどれだけ考えが浅かったのかを痛感させられる。

考えが浅いということは、語れることが少ないということだ。
そして語れることが少ないということは、相手にぶつけられる本心からの言葉も少ないということになる。
そうすると、相手から返ってくる言葉も必然的に少なくなる。
「求めよ、さらば与えられん」ではないが、こちらの気持ちを明かさずにそれに関する相手の意見を引き出すことはなかなか困難になる。


起業というものに関して言えば、昔からいろいろと考えてきたことではある。
ただ不安になるのが、自分の能力的な問題である。
何をやってもうまくいく人がいる一方で、なかなか結果が出ない人もいる。
そして自分は後者なのではないかと思うこともしばしばある。
何かと結果を出す人とそうでない人、それを分けるのはひとえに結果へのこだわりや頭をフル回転し続けられるか、ということなのではないかと思うのではあるが、そこをいくと自分はその2つがかけているのではないかと思う。
勝負への執着心が弱く、つい楽なほうへ流れてしまう、それが自分の大部分を占めているように感じる。
負けず嫌いな面もあるにはあるのだが、(アイディアや、やりたいこともないというのもあるのだが)それを思うとなかなか踏み出せない。
踏み出せない時点で、起業することには向いていない人間だと思わされる。
案ずるより産むが易しで、やってみれば大したことではないとは思うのだが。

よく見かける、「起業したいです」という言葉には嫌悪感すら覚えていて、起業することが目的ならすればいいし、学生が起業することで人として劇的に変わったりはしないと思っている。
自分が事業を興すなら、明確な目的意識を持った上で興したいとずっと思っていた。

ただ、今はそういう時期じゃないのかもしれない。
学生で、時間もあって、何かに思いっきり打ち込みたい。そんな気持ちで事業主になってもいいのかもしれない。
特にやりたいことも高尚なビジョンもないけれど、自分の将来を考えたとき、事業を興して成長させるプロセスについてもっと学んでおきたい。そして何より結果を残したい。そのために「起業したい」。
そんなことを今は思っている。

2015年になったので

かなり久しぶりの更新だが、誰がみてるわけでもないと思うのでいきなり本題に入ろうと思う。

 

年が明けて2015年になった。
やはり三が日というのはやる気も改めてみなぎり、何かをはじめるには絶好のときだという思いがある。
というわけで、今年の抱負を挙げていきたいと思う。

今年はとにかく、常識のある人間でありたい
昨年は頼りない自分に直面することが多かったように感じる。
いざというときに任せてもらえない、相談されない、等々・・・。
それは自分のキャラクターに一因があるのではないだろうか。
私はそう考えた。
普段、私はおちゃらけた言動が多い。
それは周りを笑わせたいという気持ちがあるためなのだが、今年はこれを封じ込めるようにしたいと思う。
それはボケないということだけではなく、それ以上に普段の生活から真面目に、規律のある生活を送るようにしたいと思っている。紳士的な生活からのみ紳士は作られるはずなのだ。
常識のある生活をもってして、常識のある、頼りがいのある自分を作り出す。これを念頭において、今年の抱負を書き出したつもりだ。

抱負を述べるのあたっては、抽象的になりすぎず、なるべく具体的なものを挙げるようにした。
以下の通りである。

 

・部屋を清潔に保つために週に1度は部屋の掃除をする。
・使い終わったものはしまう
・服はたたむ
・財布にレシートやポイントカードを入れない
・あいさつは大きめの声ではっきり言う。
・メールやLINEは24時間以内にレスを返す
・思ったことはしっかりと伝える。「黙って聞いておけばいい」「言い合いをするのが馬鹿馬鹿しい」と考えない。
・話すときははっきりとゆっくりと、自分が言うことは間違っていないと思って話す。
・「多分」という言葉を使わない。
・どんなにくだらないと思っても、人との会話をめんどくさがらず、沈黙の時間を作らないようにする
・よそ事を考えない。目の前のことに集中できなくなりそうになったら深呼吸をする。


こんなものか。
就職活動をする年になっているというのにこんなのでいいのか、というのが正直な感想だが、今年一年はこれでいこう。

ゼミの友達

ゼミの友達と飲みに行ってきた。

就活組はなかなか苦労しているようだ。
学歴的に、ある程度までは選考が進むようだがいいところで落ちるケースが多かった。
この時期は選考が残ってる企業が2~3社、多くても5社ぐらいの人が多いようで、5月採用の情報もチェックし始めたという声もあった。

留年組の話題は今後の身の振り方について。
真剣に勉強する。バイトを頑張る。海外に旅に行く。そんな話をしていた。
ちなみに僕は勉強とバイトだ。
少なくとも100万は稼ぎ、就活で英語を使ってきちんと受け答えができる程度に英会話のレベルを上げたい。

就活終了組はいつも通りだった。


「就活に向けて、なにか武器を作れば?」
と、一人から言われた。
武器か、確かに何かあれば心強い。
就活において武器になりそうなものというのはつまり「ネタ」だ。
例えば「○○で世界チャンピオンになりました」とか言えれば就活でアピールになるだろうということだ。
入りたい企業や就きたいポジションがある場合は、それに関連した経験をすべきだろう。
僕の場合は金融機関へ就職したいので、金融に関連する知識を学ぶことやそこで必要になるであろうスキル(英語など)を身に付けるべきだということになる。

ただ、就活して思ったことは必ずしも知識やスキルがある人が受かるというわけではないという事だ。
学生の知識など社会人から見たらゴミみたいなものらしいしね。
そういう入社後に身に付けられることじゃなくて
・人間性
・学習能力があるか、成長する余地があるか
・「デキそう」な人か
ということが僕が見ていた業界では重視されている印象を受けた。(もちろん英語も会社によってはかなり重視されているとは思ったが)
そして、そういうことは一朝一夕では身に付きはしない。

とはいうものの、努力はしたいと思い、人間的にデカくなれそうで、かつたくさんの事を学ぶ機会がありそうなバイトを探しています。

先月からはプロップトレーディングの会社で働き始め、今週は雀荘でのバイトを始めました。

まだまだ稼ぎたいのと、上記の事と関連して「複数の人と議論しつつ何かをする」がしたいと考えているので、WantedlyやGoodfindを通じてインターンをいくつか探しているところです。
最終的には1つの会社に集中するか、それが無理なら2つか3つのアルバイトをかけもちして、毎日働けるという状況を作りたいなと思っています(現在やっている二つのバイトは毎日は働けないので)。

4月6日のこと

僕の人生の中で、一番自分が情けなく思えた日だったと思う。
親戚中を回り、頭を下げ続けた。

3月10日、大学の成績発表があり、そこで僕の留年が決まった。
4月6日はそのことを親戚に直接伝えに行った日だ。

叔父から「社会に出ても落ちこぼれる」と言われた。
叔母があんなに憐れみを込めた目をしているのを初めて見た。

この日のことは忘れない。