自分の能力と学生生活に関して思う

最近は自分が興味がある業界の人に話を聞きに行っている。
先週に1人、今週はすでに2人。明日も1人の方に会って話を聞かせてもらう予定。

人と会い、自分の将来の展望について話をすると、様々な意見が返ってくる。
時には返ってこないときもあるが、何か意見を言われるたびに私はいろいろなことを考えさせられる。
時には起業をしろと言われる。君はいろんなところで働いてきたみたいだけど、もうそれ以上バイトやインターンをしても君のキャリアにプラスにはならないとも言われる。
自分が自分の人生についてどれだけ考えが浅かったのかを痛感させられる。

考えが浅いということは、語れることが少ないということだ。
そして語れることが少ないということは、相手にぶつけられる本心からの言葉も少ないということになる。
そうすると、相手から返ってくる言葉も必然的に少なくなる。
「求めよ、さらば与えられん」ではないが、こちらの気持ちを明かさずにそれに関する相手の意見を引き出すことはなかなか困難になる。


起業というものに関して言えば、昔からいろいろと考えてきたことではある。
ただ不安になるのが、自分の能力的な問題である。
何をやってもうまくいく人がいる一方で、なかなか結果が出ない人もいる。
そして自分は後者なのではないかと思うこともしばしばある。
何かと結果を出す人とそうでない人、それを分けるのはひとえに結果へのこだわりや頭をフル回転し続けられるか、ということなのではないかと思うのではあるが、そこをいくと自分はその2つがかけているのではないかと思う。
勝負への執着心が弱く、つい楽なほうへ流れてしまう、それが自分の大部分を占めているように感じる。
負けず嫌いな面もあるにはあるのだが、(アイディアや、やりたいこともないというのもあるのだが)それを思うとなかなか踏み出せない。
踏み出せない時点で、起業することには向いていない人間だと思わされる。
案ずるより産むが易しで、やってみれば大したことではないとは思うのだが。

よく見かける、「起業したいです」という言葉には嫌悪感すら覚えていて、起業することが目的ならすればいいし、学生が起業することで人として劇的に変わったりはしないと思っている。
自分が事業を興すなら、明確な目的意識を持った上で興したいとずっと思っていた。

ただ、今はそういう時期じゃないのかもしれない。
学生で、時間もあって、何かに思いっきり打ち込みたい。そんな気持ちで事業主になってもいいのかもしれない。
特にやりたいことも高尚なビジョンもないけれど、自分の将来を考えたとき、事業を興して成長させるプロセスについてもっと学んでおきたい。そして何より結果を残したい。そのために「起業したい」。
そんなことを今は思っている。