自分で気づかなきゃいけない

私はポーカーが好きなのだけど、ここ最近オンラインポーカーで大負けして資金を大きく減らしてしまっていた。
ポーカーは短期なら運の要素も大きいから、ミスをしていなかったら「そういうこともあるさ」と思うしかない。
でも、今回はそうは思えなかった。
自分の将来のことや、これからの生活、お金のことを考えて暗い気持ちになっていたこともあり、「こんな運ゲーにお金を使っていてもしょうがないんじゃないか?」と思ってしまった。

お金は何のためにある(使う)のか、それを考えたとき、私の場合、生きていくため、人生を楽しむため、というものが真っ先に出てくる。
この「生きていくため」のウェートが自分の中で大きくなると、だんだん気持ちが落ち込んでくる。
それはなぜかというと、ここまで20余年ほど生きてきて、未だに生きていくという生命として最低限のところを完全にクリアできてないのか、と思ってしまうからだ。
こう思うのは人生においてやるべきことをやってきていれば当然そこはクリアできているという前提、先入観があるからだと思う。

例えば、(賃料の安い)寮のある会社で働いている人。
私の周りの人を見ていると、彼らは可処分所得が非常に多い。
たいていの場合、寮に住んでいるということもあって、最低限、生きていく分にはほとんどお金を使う必要はない。
家賃というのはけっこうバカにならない。新卒の給料がだいたい22万円とかであったら、なかなか家賃10万円のところには住めない。まず自分の場合、所得の半分が家賃に持って行かれるというのが考えられない。先の論理と同じで、生きる上で最低限の住居というところにウェートが大きくなるというのが耐えられない。

運ゲーにお金を使ううんぬんのところに話を戻す。
これからの私の生活は、とても裕福なものではない。
寮生活をしている人のように、給料の大部分が自由に使える生活ではない。
なのに、ポーカーのような運の要素の大きいゲームにお金を使っていて良いのだろうか?合理的なのだろうか?そこまでポーカーをして、一体何になるというのか?
と思い、「こんな運ゲーにお金を使っていてもしょうがないんじゃないか?」と思うに至った。

これに対する答えを生み出すヒントを先ほど得た。
ポーカーで負けてお金を失うのは間違いない。しかし、その経験は次勝つ上での糧になる、ということだ

当たり前のことだと思うかもしれない。だけど、最近お金のことばかり考えていた自分にとって、お金から離れて自分の経験や能力というところに目が向いたことが、自分の中で新鮮であったので書いておこうと思った。